「変わるもの」と「変わらないもの」
お疲れさまです。
本日は川幡が更新します。
連日ご紹介しております弊社50年史の編集作業、現在原稿のチェック中で、「チェック」と一口に言っても、
「事実と異なることは書かれてないか」
「ニュアンス表現の是非(誤解を招く表現でないか)」
「誤字脱字」
などなど。
これらを複数のスタッフで回覧し、修整や更新依頼を業者さんへ行い、再び出来上がった文章を「チェック」・・。
慣れてないだけかもしれませんが、これが(残る物なので当たり前のことですが)なかなか神経を使い、出版業界の方はこれら案件をいくつも抱え、日々の業務だと知ると、ただただ脱帽です。
それだけやりがいがあるということで、仕事終わりに夏野菜とビールがあると自分を奮い立たせながら(笑)、力を尽くしていきます。
さて、そんなこんなで川幡の頭から湯気が出てショートしていると感じたのでしょうか、社史の編集スタッフで創業時から在籍するスタッフから、「ここに移る前の車庫拠点、見に行ってみるかい?」と本日声をかけていただきました。
現在、弊社の母体となる東京営業所は東京都東久留米市「幸町」にあるのですが、1978年から1987年まで同市の「八幡町」に車庫拠点があったため、そちらに足を運びました。
現在は私有地ということで一部道路から撮影させて頂きました。
会社の歴史をたどっていくと、「八幡町時代」は車庫入れもしかり、大型車両の出入りもご苦労があったということで、実際の場所を訪れると、
大きな車体でどう出発したのか、どう戻るのか、当時のドライバーさんがミラーや実際に前後左右気をつけながら、ハンドル片手に絶妙に車を操作している姿がありありと脳裏に浮かび上がってきました。
創業時のスタッフから、「出発するときに電信柱があって、これがなかなか気をつかうんだ」とよく伺っていたのですが、こちらがその電信柱。
スタッフから何も聞いていなければ、ただの電信柱ですが、ストーリーが知っていると「これかー!!」と感動し、タイムスリップした気持ちです。
「八幡町時代」からさらに時代を下ると、同市の「滝山時代」もあり、その跡地をこの後行ったのですが、当時の車庫の面影はほとんどなく、
「50年も経つと、変わるよね」
そう静かに同行したスタッフは話してくれました。
街も人の価値観もどんどん変わっていく中、先代の想いとその先代を支え続けたスタッフの想いや功績は「変わらず」、「残していかなければならない」と社史の編集者の立場として私は強く願い、その責務を果たしつつ、次世代の「励み」となり、「夢」を与えてくれる「社史」を創りたいと心に誓ったところで、本日は終了したいと思います。
それでは、日々ブログを更新しておりますが、明日から夏休みを頂き、8月20日(火)からまた復活します。
引き続き、ご愛読の程よろしくお願いします!!
川幡