記録の仕事とは~OBの方をたずねて
お疲れさまです。
本日は川幡が更新します。
明日から8月になりますが、この時期になると戦争関連のドラマが放送されたり、原爆投下の日や終戦の日は必ず慰霊の式典の様子がテレビ中継されます。
書店でも関連する書籍が並ぶ中で、ある雑誌に掲載されて私は手に取り、思わず息をのむコラムがありました。
80歳の女性の方の投稿で、終戦直後の田端駅にて、復員兵と思われる人が「命売ります」とたすきをつけ、1人たたずんでいるという姿です。
投稿者の方も当時はそれを見てぎょっとした一方、駅を利用しようと街行く人は皆、素通りだったそうです。
400字前後の文章の中で、その情景がありありと目に焼き付き、「命を売ります」というたすきをつけた方の両親がこの姿を見たらどう思うか、
国はなんということをしたんだとさまざまな想いにかられる一方、歴史として記録を残すことの大切さを身をもって体験した出来事でした。
現在、弊社の社史を編集編纂していますが、10年後20年後、さらにその後の世代の方が「東邦運輸ってこういった会社なんだ」と関心を深め、くすっと思わず笑ってしまうような、でも教訓を得てちょっとした勇気をもらえるような、そんな風にまとめることを目標に動いて参ります。
さて、本日は前置きが少し長くなりましたが、前回予告した通りの内容です!
3期(1973年)に入社され、ついこの間定年退職されたOBの方にお時間を頂き、昔の仕事の話や思い出に残っていることをお聴きして参りました。
その方はトラックをとにかく大事に、きれいに保つ方と社内で評判で、亡くなった先代の厚い信頼もあった方になります。
ご自身が乗務した歴代のトラックの写真を見せて頂いたり、次のトラック(ボトルカー)に乗っている写真が会社に残っていたため、共有しつつ、談笑しながら歴史を振り返りました。
下道往復で九州まで自動車部品を運んだり、花火を熱海まで運び、自分の運んだその花火を夜空に打ちあがるの見てこちらに帰ってきたり、顔文字だと九州は( ゚Д゚)!!、花火は(*^^*)といった感じで、とても幸せな時間でした。
最後に、冒頭につながるわけじゃありませんが、30年経つと1%残っているかどうかの企業寿命の中で、東邦運輸はなぜ50年の歴史があるのでしょうかとお尋ねしたところ、「みんな仲良くて一生懸命だからかな」と話して頂きました。
この想いをかたちに、暑さにも負けず、日々を過ごしてまいります。
川幡